私が「論語」と出逢うまで -第一章-
皆さん初めまして!
今日は記念すべき初めてのブログ。
そんな事もあり、今回は私が中国文化を愛するようになったきっかけである「論語」と出逢うまでについてを三章に分けてお話しをしたいと思います。
良かったら是非お付き合い下さいませ♫
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始まりは幼少期まで遡ります。
母からは幼い頃よく
・どう考えてもおかしいことは冷静に毅然とした口調で話しなさい。でも熱を入れたらその時点でその会話は負け。
・明らかな理不尽な意地悪を言われた時黙ってないで、あくまで”毅然”と言い返しなさい。
と教えられて育ちました。
教え込まれた最初の記憶は、幼稚園の年少の時。
兄弟がいないことから、取り合いをしたり喧嘩をする環境になく、フワフワ〜としている私に少し危機感を感じての教えでした。
「あくまで”毅然と”」が母のキーポイント。
まだ四等身くらいの幼稚園生にはなかなかの無理難題でしたが、この時期の子供は出来るかどうかよりも教えを浴びることこそに意味があったのだと今は実感しています。
そしてその甲斐あってか、小学校に上がったころには言うべき事を主張することが出来るくらいまでは何とか成長しました。
むしろ、いつの間にか人一倍「悪」を見ると無謀に立ち向かってしまうタイプになっていたくらいでした。
すると、ある時駅前に生えている柳の木を指差し母が新しいワードをなげかけるのです。
・人と接するときはこの柳の木ようにしなやかに。
え!この柳の木みたいに?
木に例えるなんて斬新!と思った記憶はあるのですが、何故そんなことを言うのかも、この教えを実行することがいかに難しいのかも、まだまだこの頃の私には気付くことが出来ませんでした。
そんなこんなで、幼いころから母の言葉を教訓にし、”なるべく”達成出来るように心がけて過ごしていた私は、そんな過程があったからか、いつしか「善悪をしっかり認識出来るようになって、言うべき時には毅然と言える人になりたい!」と思い、色々と道徳的なことに思いをはせることが大好きな子供になっていました。
はっきりと覚えているのは、小学校の3年生くらいのある日に「もしかして物事の善悪には基準があり、なるべき人間に導くような道徳のお手本になる何かがあるのでは?」と、突然閃いたこと。
きっと母もそんな何かを見たり学んだりして私に教えてくれてるんだろうと思い、母に聞きさえすればきっと解決すると希望に胸を弾ませ母に尋ねたのを今でも覚えています。
しかし母からの返ってきたのはまさかの答え。
「それは全部何を見たとかじゃなくてお母さんが自分の人生で勉強したことだよ」
え?善悪が全部載ってる本とかがあるんじゃないの?
念押ししてみたものの、絶対有ると思っていた書物などの有力情報は一切得られず終い。
結果的にそんなものは存在しない上に、むしろ自分の人生で学ぶしかないと言われガッカリ…気が遠くなったのを覚えています。笑
今考えれば、それはある意味では強烈な正解の返答であり、そしてまるで映画カンフーパンダ1が伝えたかったメッセージのような答えでした。
龍の戦士しか観ることが許されない特別な力の秘密が記された巻き物を求めて戦い、やっとのことでその巻き物を手に入れ開いてみるが、中身の書はなんとブランク。自分が映るだけの金色の紙だったのです。
しかしそれの意味することは、特別な力とは言葉で表すものでは無く、実は自分の中にこそあるということ。自分を静観し、自覚し、認め、そして信じる事の中にこそあるということでした。
とは言え、もちろん母にはそんなことまでを言うつもりは無く、子供って物心がつくと面白いことを聞くようになるものだな。と、きっとホッコリしながら素直に答えてくれたのだと思います。
そんなこんなで、私の幼いながらの学びたい意欲と閃き、そして確信は、実は初っ端から大正解の答えを与えられていたにも関わらず、全くその事に気がつく事が出来ぬままスタートとなりました。
そして、ふにこそ落ちぬまままでしたが、子供らしく普段の日常へと戻って行ったのでした。
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さてさて、あっさり希望の光を失った私がその後どうやって「論語」までたどり着くのか?!はTo be continuedということで…
続きます♪
最後までお読みいただき有難うございました。